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いなもの  いなよう

右の薬指の爪下にペンダコがある。

書くことというより、ノートをレイアウトすることが学生時代の楽しみだった。何通りかのレイアウトを考えながら書いていっては途中で乱れ、嫌になってまた作り直す。
そうすると中指にペンダコができた。

つるつるしておもしろい。凹みがすべすべで痛くもない。指をひとつずらしてシャーペンを握ってみた。
はじめは「いなよう」だけれど中指を休ませたいのとちょっと変わったことがやってみたいお年頃だったからそのまま薬指にシャーペンを載せて持ちノートをとっていた。
そうすると薬指にペンダコができた。

そこが赤く腫れて痛がゆい。よく見ると薄くてちっちゃな焦げ茶の点がうす皮のしたにある、棘なのか。
こんなに小さいのに「異」なものに反応する皮膚の仕組みに感心した。そして「よし!」と針を握った。私は棘をとるときの快感が楽しみなのです。今回は左手で針を扱うのでちょっと皮をひっぱり伸ばしてから、上手に焦げ茶の点へ沿うように針をえいえいとつつく。この掘り起こしが成功したときの爽やかな痛みがちょっとした快感なのです。
翌日、現場を軽くたたくと、もうあの「異」なものの痛みはなかった。

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祖母はいつも、どこか調子がわるいと身体のどこかに手を当てて「ここが『いなよう』だ」と言っていました。そのためきょうの今日まで「いなよう」は標準語だと思っていました。
異なるようなのか、否ようなのか、どちらにしても拒否しています。なにか常ではない異なることが身体に起きているのです。合わないものを口にしたり、身につけたり、合わない人、場、物にふれるとどこか「いなよう」だったり「いなこと」だったりして調子が悪くなるのです。


糸紡ぎも然り、染めることも然り、織ることはまさに調和、なるほどと膝をたたいたら腕の虫さされのあとに気づきました。これも「いなもの」が刺さったからか。
でも、蚊にとって私の血液は「いなもの」ではないのか。おたがいさまではないんだな。

P1010017.jpg

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「いなよう」なのはルールを侵しておこるもので、蚊の生息地に侵入した私が「いなよう」で「うまそう」で、そこにある草が畑の持ち主にとっては「いなもの」だけれど、草にとっては私が「いなもの」で油かすも「いなもの」だ。
でもすこしづつ様子を伺い、耳を傾けたら上手に調和できる。これがおたがいさま。

近所のワイナリーに小さな人口の泉がある。
メダカが産卵しただけで心が躍る。ゆっくりと観る機会がなかった水辺の植物を眺めては忘れる長閑な日常に、ウシガエルがやってきた。
これが、ウシガエルのための泉だったのかと頷くくらい絵になる。でもメダカの運命は・・・。
ウシガエルを近所の川原に放つことにしたときいた。

「ウシガエルはペットにならないのかしら」と、ワイナリーのお姉さんは呟いた。
メダカは愛されウシガエルは疎んじられる。それを当たり前と思っていた私ははっとした。ウシガエルにとって「いなもの」はなにもなかった。住処だった。メダカを食し泉の主となる。

ただ、私はメダカが好きです。だからウシガエルくんは川原で新たな住処を見つけてください。きっとメダカたちは重川の厳しい生存競争に耐えられない。もうペットとしての道を泳ぎはじめてしまったのです。

川原で風に揺れる様々な植物、その風景、虫の鐘、ハーモニー
いいなと、好きだなとそういう季節です。

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写真は上から
新たな「ぴいたま小屋」「川風の調べと紡ぐ家」の空
藍の生葉染めの染液
藍の生葉染めをした糸

地鎮祭

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