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経て

 先日の母の日のことです。
 この日はなにをつくっても美味しくない。うまくできない。
 気負いすぎ、がんばりすぎ、焦っているから、不安があるから、とあれこれ並べてみますがその訳はなんでしょう。
 上のどれでもないのだけれど、いつもと違うししっくりこない。

 「雑草という名の草はない」と昭和天皇が仰ったというお話があります。
 ゴールデンウィークのはじまり4月29日は「みどりの日」、昭和天皇の誕生日にあたります。
 形あるものや存在がヒトの五感で知りうるものには名前がつけられます。
 形のないもの、形のないこともこの世には存在しますし、そちらの方がきっとずっとたくさんあるでしょう。
 そのひとつが心。
 
 和綿
和綿が発芽し生長しています

 先日、地元のテレビ局が取材にきてくださいました。真摯に耳を傾けてくださるディレクターさんへ薄っぺらいありがちな言葉を返しているとどこかで気づきながらも笑顔のままするすると口からでる上辺だけの言葉。

 それでもこの工房「川風の調べと紡ぐ家」という場と機織りという手しごとは代えがたく美しいものなのでご覧いただいた方は「よかったよ」「いい感じだったよ」とにこやかに声をかけてくださいます。
 それでもなお気になって「なんだか上面ばかりのことしか話せなくて」とテレビ業界に通じている方に打ち明けると「たまちゃんらしい芯の強さと優しさが見えたよ。大丈夫、テレビは言葉のさきにあるホンモノを伝える力があるから」と返されはたとします。

 言葉は言霊だけれどすべてではない
 言葉は表現する手段のひとつ

 思っていることを全て言葉で表現するのは難しく、どの言葉も当てはまらないこともあります。自分の語彙不足ももちろんあるけれど、いまコミュニケ―リョン可能な言葉をつかって纏めることのできない気持ち、ここにいる、ときに桜色だったり水色のようなものだったりするもの、とは何か違うということもあります。
 全く思っていないのに別の感情が不意に口からでてしまこともあります。これは困る。どこかでそう思っているからという人もいるけれど、いやいや思っておりません。

 母はとうになくなってしまったけれど母のように見守ってくれる方達にプレゼントをと、私のところへオーガニックコットンのスカーフを買いに来てくれた素敵なMさんは、知り合って20年以上たつのに変わらず美しい。 
どうしてそんなに素敵なのか訊いてみた。
楽観することかな、と謂う。

「近いひとから言われるひと言ほどいらいらしたり落ち込んだりするでしょう。でもね、あーこの人、心の中は違うなってわかるの。間違えてこの言葉が出て来ただけだな。きっと肯定している。うまく表現できていないけれど・・・。そういうのってわかるから」
「そういうことなんですね。そうすると、いちいちひと言を拾っていらいらすることは勿体ないことですね」
「そうよ。だから私怒らないもの」

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帯和綿を紡ぎました 亜麻、正絹、タッサーシルク、ムガシルク、キビソ糸 濃紺はインド藍と茶葉で染めました 手織り


 伝えたいと思ったら5歳児に話すように丁寧にしてみてと、伝わらないと言う方はたいていきちんと伝えようとしていないから誤解が生まることが多く、まずはそこから。以心伝心とか察するとか家族だからではなくて・・・でもそこまで丁寧に言っても伝わらなかったらしょうがない、みんな違う生き物だから自分とは違うから。
 そこで言葉も大事だけれど相手が本当はどう感じているか思っているかを見てみると、悪気はないなっていうのがわかってたいてい受け入れられる。もうしょうがないって前向きになる。
 サロンを経営しているので多くの方のお話に耳を傾けてきたMさんの話に頷き、「言葉は比喩だから真実ではないこともある」とわかっていたつもりでいたけれど、つい言葉をひと言を拾ってしまっていた自分を振り返る。

 そしてどうしても伝わらないこともある。その基準は遠い存在、近い存在ということで計れないものなのだ。
 
 テレビも機織りなどの手しごともひとつの表現であり、だから私はこの道を歩いています。でもそこに固執はしない。ただ言葉ではないモノの表現のひとつとしても、それはあるのです。

先日、ようやく帯を織り上げお世話になっている着物乃塩田さんへ納品いたしました。
「すばらしい。伝わってきます。たまさんのこの帯への思いが。今度はわたしたちがその物語をお客様へお伝えする番です。確かに預かりました」とK社長。

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このあたりはサクランボの最盛期を迎えています。


 この地の心地いい風に吹かれ織りあげました。
 経は”とき”、緯は”そら”または”場”として織りあげられて来た布はコペルニクスよりずっと昔からあり、表現方法のひとつでした。
紡ぎ染め織ることは、ロマンがあって愉しいことです。
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