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本の派閥



本をたくさん読んでいる人に憧れたのはいつからでしょう。

小学生のころにはひと月に何冊読むと「本好き」で「趣味は読書」となるのだろうと、本を読むことは救いであったし何度も助けられたけれど、そういう肩書きに憧れてもいました。



高校の図書館のバックヤードには音楽の先生と司書の方の部屋がありました。

決して新しくない図書館は歩くとどっしりとして建物自体が根を生やしているようでした。樫の木だったろうか、欅もあったかもしれません。大きな樹々に囲まれていた佇まいが記憶に焼きついています。薄暗い図書館の裏に隣接する仄明るいバックヤードには珈琲メーカーがあって音楽の先生が愛用していました。
古い洋館風のガラス窓から入る明かりと珈琲メーカ-のコポコポという音、本と珈琲と洋館に木漏れ日、フィルムのような静かであたたい時が流れていました。
そう冬でした。確か石油ストーブと小さな流しもありました。隠していた傷に気づいてくれた先生とその場にたまたまいた友人に生まれてはじめて珈琲を淹れました。
「わかるか?」と訊かれた時に「なんとなく」と答えてしまったからさもないふりをしながらも「このぐらいですか」と要所要所を尋ねて珈琲をセットします。


「大丈夫ですか」の問いに
「まあいいでしょう」と返してくれたけれどきっととっても薄かったことでしょう。生まれてはじめてドリップした珈琲を口にした私が「おいしい」と思ったくらいですから。
その部屋の常連となっているたまたまいた友人は「うん大丈夫」と頷きました。いつも飲んでいるという慣れた姿がとても「読書家」に見えました。

「この本読んだことあるか?」
「じゃあこれは?」「これはどうだ?」という問いに
「うーん読んでいないと思います」
「小学校か中学のときか読んだかもしれません」
「読んだことありますけれど・・・最後どうなりましたっけ?」
「はい、あります」「持っているけれどまだ読んでいません」などなど。
出てきた本はどれも名作と呼ばれるものばかり、その中で三分の一くらいは読んだような・・・というものでした。

「あー、それは◯◯です」
「はい、その話は□□でしたね」
「読みましたけれど、◯◯な気持ちになってしまった」とほぼ全てのタイトルで物語の世界を紐解いたたまたま友人。
すごい、ほとんど読んでいて全ての物語を自分の中に仕舞っている、「この人だ」と私は脱帽、心の中で拍手喝采でした。

サラとP


話をしているとたまたま友人の家にはほとんど本がないのだそう。全て図書館で借りて読んだとのこと。その場にいて自分が恥ずかしくなりました。私は家にもっと本があったらいつでも本が読めるのに、もっと本に囲まれたい,と思っていましたし、そういう人が「読書家」で「本好き」だというイメージが固まっていました。
この薄い珈琲タイムの後はたくさん本を持っている、よりもたくさん本を読んでいる人、たくさん本を読んでいる人、よりもたくさんの物語をもっている人こそが「読書家」だと思い直すようになりました。

つづきは明日
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