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本の派閥 つづき

社会人を経て英語学科に編入した一番の理由は好きなだけ本を読めるということ。そういう時間が必要でした。学生という肩書きのおかげで後ろめたさもなく、読むべき本もたくさんあり、充実した日々を過ごしました。
そのころは1年に200冊から300冊、学術書から物語、フィクション、ノンフィクションなど幅広くしっかり読み込みました。指導教授のお薦めの本で私は今の道への入り口を見つけました。

学生でしたから論文を書くのに10冊以上の本を持ち歩くこともあります。
それらを全て買うことはできません。付箋をつけて繰り返し参考にするものや図書館でなかなか借りることのできないものを少しずつ買っていきました。それでも諦めた本の方が数倍あります。

帯1
梅と桜で染めた絹糸で帯を織りました


今、糸を紡いで、植物で染めて、手機で織っていると、ときおり道に迷うことがあります。
そんなときに手にした本は、読み進めると世界がぐんぐん広がり見失っていた道標に「ぱっ」とアカリを灯します。紙の束の書物を紐解くとそこには想像を越えたワクワクする物語がかくれていてそのうちに迷いは消えて読みたくて、織りたくて、というやる気に満ちてきます。

そのような本にであったときは、心に物語を仕舞っておきます。
でも、仕舞っていることさえも思い出す余裕がないときもあります。

そう、振り返るとそこにその本があったら。
本を所蔵するのに意味などいらないかもしれませんが
こういう本は手元に置きたいものです。ときに本は「どこでもドア」の役目を果たしてくれますから。

物語は小説だけに限らず、図録、紀行、論文、いろいろ。

高校の図書館は、もっと利用すればよかったと悔やみます。時間に追われていましたし、情緒不安定な自分に嫌気がさしていました。その居心地に気づく余裕がなっかたのだと思います。

椿灰
椿を燃やしました。紫根とともにムラサキを染める大切な素材です。

本を借りる派、買う派という流派か派閥があるとしたら、どちらにも属さずお茶を濁しにいく派となりそうです。
文字や物を保つことに価値のある文化、消えてまた表れるという巡りを尊ぶ文化、相反するようで呼応しています。
双方の価値を携えた織りなす生地は命の営みのようです。
線引きがあいまいなのが心地よく、この営みが古代から行われていたことで、タイムトラベルではないけれど時を越えて壮大な物語が心に描かれます。
そのまま糸を紡ぐこと、糸を巻くこと、染めること、織ることがぐるぐるとまわって繋がっています。

私がこのテキスタイルに出会ったとき「見つけた!」と「これだ!」とそのままその道を歩いているけれど
「本」や「物語」はずっとそこにあり私を支えてくれている。

「音楽」「映画」もそう。藝やアートはどうしようもなく辛い過去を時を経て生きる糧へとする力がある。
それは中石器時代から変わらないことのようで、時空に想いを巡らせるとくらくらするけれど、そうだねと、頷きます。

家政婦のサラ
どこでもサラ


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